statement

2020.2|物語りの塒

 休日の静かな朝にひっそりと小説を書くことはひとつの幸福であるし、悶々と書きあぐねてついつい酒に溺れてしまう暗夜もそれはそれで悪くはない。あるいは昼下がりの古本屋でしおらしく埋もれている背表紙をもそもそと棚から抜き取り、褪せたぺージを繰って飛び込んでくる一行目につんと心を刺されたときのさわやかな痛みが好きだ。

 小説という風景にぼうっと身をゆだね、原稿用紙のうえで万年筆の離着陸を持てあましたりパソコンのキーボードを途切れ途切れに叩いていくのは、ほんとうは幸福というよりもむしろ苦しみや矛盾のほうが多いのだけれど、胸のうちに去来する言葉はおもむろに吸い込まれ、帰っていくところがあるように思う。

 たとえばそれは「塒(とや)」であると、物語を紡ごうとすることは言葉をたずさえた人間にとっての帰巣本能のようなものなのだと定義する。決してふれられないけれど、とても近く、ずっと心に引っかかりつづけるような陽のあたる風景がはためくたび、じぶんは言葉という不安定な櫂をよすがにして何度もそこへ帰ろうとする。

 塒(とや)…鳥の寝るところ。ねぐら。俗に、自分の寝るところ。我が家のこと。





2017.12|小説の部屋 - アインソフの鳥

 よく、書きあぐねたじぶんの小説から目を背けて風景をぼんやりみていたりする。そうやってよそ見をしているうちに気づいたり、わすれていくことがある。春にあふれた桜は散っていくし、騒がしかった蝉はいつのまにか鳴き声がきこえなくなる。紅や黄に色付いた葉はそのうちに枯れ果て、降りだした雪は溶けてなくなる。それらのあいだにもこまやかな季節の機微はあるけれど、四季の現象というものはあらわれたらきえていくさだめにある。ふたたびその季節がおとずれるまで一旦わすれて、思い出す瞬間を待つ。そんな思い出しかたとわすれかたが美術と小説のあいだにもちらりと光っているようにみえる。気づくことができなければつづく言葉はみつからないし、わすれなければ思い出すこともできないのだから。




2016.12|花摘みのゆびさきが羽 

 初夏から秋のころにかけて、湿っぽい風景の陰にツユクサが咲いている。水溶性で退色しやすいという性質から友禅染の下絵を描く際の絵具にもなる花びらの青い色素は、水にさらした万年筆の筆先からゆらぎながら溶けていくロイヤルブルーのインクとどこか重なってみえる。花びらをつまんでみるとインクが付着したときとおなじようにゆびさきが青く滲み、そのやわらかい感触は鳥の羽を持ったときの感覚を思い起こさせる。
 長さ約30センチ、幅7〜8センチくらいの一片のクマタカの羽。ふわっと宙を扇いでみると、空間を振るしなやかさにじぶんのからだが飛んでいくのではないかと思えるほど、水面を撫でるような風が立つ。いつもつかっている万年筆が重すぎたのかもしれない。
 ぽちゃん、とインクの水中にゆびさきを浸ける。万年筆のように細くて繊細な線を引けるわけではないけれど、書き癖というものはすでにこの末端に宿っていて、じぶんの表情や性格を安定させるため、あるいは誇張させるための筆記具だったのかもしれないと思うと、ゆびさきはすこしぎこちなく、しかしいつもより大胆に、文字や記号以前にあったはずの言語そのものをさがしはじめる。やがて描くことと書くことのあいだをさまようのは、絵を描きたいわけではないじぶんにとって必然ではあったけれど、どちらにも振り切れないまま、描くことと書くことの中間を真っ青に塗りつぶせば、余分な言葉もきえていく。
 ゆびさきがロイヤルブルーに染まって、途中で煙草を吸ったり、珈琲を淹れたり、トイレへいったり、台所で料理をしているうちに家のなかのところどころが青くなっていく。机、壁や床、照明のスイッチ、ドアの把手。ぱたぱた、ぱたぱたと、そこに鳥の飛跡か、明け方の風に花ひらくツユクサがあらわれていくようでもある。




2015.07|ink summer holiday 

 これまで夏の個展を避けていたのは、蝉の鳴き声や肌にぬめっとした湿度がまとわりつく夏よりも、つめたく乾いた空気のころのほうがロイヤルブルーの文字はしずかに研ぎ澄まされるだろうという、じぶんの作品像に対する単純な思い込みがあったからで、今年は七月に個展があるんです、とひとに話したら、へえ、めずらしいですね、と言われるくらい、周囲のひとにもそんな先入観を植え付けていたようである。もっとも、冬生まれということもあって何かの折りにはつい冬をえらんでしまうという傾向もあったのだけれど、かといって夏がきらいなわけではなかった。暑さ寒さでわけてしまえばどちらも苦手であるものの、むしろ、蝉の鳴き声が聴こえはじめる日を特別な祝日かなにかのように待ち構えるほど、夏という言語が気にかかっていた。
 そんなふうにして思いあたる最初の夏は、十一年ほどさかのぼったところにある。停車駅でとびらが開くたびに、耳のなかへこだまするようにわんわんと蝉の声が響いて、重たいスーツケースをひっぱってどうにか空港にたどり着き、日本を発った。時差という空間を二十時間以上かけて移動して、空のうえで言葉も胃のなかも攪拌されていくように着地したドイツでは、しかし、蝉がいなかった。ぽっかりうかぶ聴覚の不在という存在を糧に小説を書きはじめたのがそのときである。
 日本に帰ってきたのはそれから七ヶ月後の冬だったから、結局どうしたって冬に帰着しようとするのだけれど、降り立ったのは完成して間もない空港で、そこは海に浮かんでいた。おかえり、と迎えてくれたひとに海辺へ連れていってもらうと、ざぷんざぷん、ざぷんざぷんと、七ヶ月まえにとりこぼしていった空中の鳴き声が季節を行ったり来たりしながら、青い波の音にあらわれていくようであった。




2015.07|royal blue fountain

 鳥のくちばしのようなペン先がちらりと光ってインクを放ち、紙のうえに染み込み、すうっと息を引き取るように乾いていこうとする瞬間、ロイヤルブルーはみずみずしく発色する。インクが泉のようにずっと湧きつづけるという意味合いをもつその筆記具を、明治期のひとびとは「万年」という時間を帯びた言葉に託した。
 じぶんが万年筆でものを書くようになってまもなくのころ、これで作品をつくろうと思い立って、最初に壁に書いた作品が「Royal Blue Mountain」というタイトルだったのだけれど、その「mountain」が万年筆の原語である「fountain pen」の「fountain(泉)」と一文字ちがいであったということは、つい最近になって気がついた。言葉に対するじぶんの鈍感さにうんざりしつつ、いつもそうやって、あらためて言葉を書きつけてから気づいている性分なのだからしかたないし、万年筆を十年使いつづけてようやく気づいていくことができたのだといえる。しかし、まだ万年にはほど遠い。そういうふうに言象に気づくまでの、あるいはロイヤルブルーのインクが乾くまでの時間というのは、水辺にゆらゆらと繋留されている舟のような、そこでしばらく羽を休めている鳥のような気持ちがする。気づいたときに、舟は発ち、鳥は飛んでいく。




2015.03|fountain blue

 壁に文章を書きはじめて、今年で九年が経つ。
 たまたまプレゼントされた一本のペンをきっかけに、そこに充填されたロイヤルブルーというインクの色に魅せられて、言葉そのものへ、あるいは言葉そのものから向かってくるものと、壁というところでふれあいつづけ、うっすらと青く伸びていく距離を見つめていた。
 いささか神経質にも思われる筆運びによって壁に書かれたロイヤルブルーの言葉は、単純に読むためだけのものにとどまらず、視聴覚という感覚器官、さらには言語という感覚器官を震わせながら、景色そのものを見るというところへ向かって表言してきたつもりである。あるときには書きすぎたり、書く量が減ったり、またあるときにはまったく書かなかったり、意図しないところで壁の表面から文字がきえてしまったこともあったけれど、それらひとつひとつが目のまえにあらわれる景色として、それが言葉でありながら言葉ではないところへ飛ぶための言象であろうとすることも、この九年のあいだ、かたくなに守りつづけていることである。
 そしてもうひとつ、守っているというものでもないのだけれど、壁に書こうとするときにいつも思いだしてしまうのが、ラスコーの洞窟壁画である。およそ三万年まえ、そのひとはどのような言葉を持っていたのか、いつもどんな景色を見て、どんなふうに気づき、その洞窟という空間でどのような言語を受けとめながら壁に向かったのか。そして、そのひとと自分にどれほどの共通する言葉があって、どんな差異があり、そこに翻訳しあえる言語はあるのか。ペン先を壁に置くそのとき、インクが向こう側へじわりと伝っていく。その一瞬だけ、ロイヤルブルーは言葉の意味を飛び越えてくるかのように、最も瑞々しく発光する。
 明治期に西洋から海を渡って日本にやってきたこの筆記具は「万年筆」と訳された。「fountain pen」、つまり、インクが泉のようにずっと湧きつづけるという意味合いを「万年」という言葉に託し、「万年筆」という訳を得たとされているけれど、もしかしたら三万年という時空間を飛翔することさえ可能にさせるひとつの言語としての「万年筆」があったとしても、それは決して誤訳ではないと思うのである。




2014.11|水性であること

 何年も文章を書きつづけていくうちにすっかりゆびさきになじんでいた万年筆の、そのロイヤルブルーのインクが水性であったということは、気に留めることというよりも、ごく自然なこととして、受けながしていたつもりであった。
 ペン先からじわりと放出された青い文字群は、水に濡れたら滲んでいくし、日光にあたっているうちに色素があわくなり、いつか必ずきえてしまうことを背負っているから、壁に膠を塗ってから書くようにしていることも、一時的に作品を保たせるためには理にかなった自然なことではある。けれども、どこかの時点で不自然性が介入しているように思ってしまったことがあって、それは真っ白な壁に向かい合ってそこに景色を見出そうとしているときであったか、その壁にペン先を突き立てて刻むように文章を書いていたときであったかもしれないし、言葉で景色を越えようとしていたときかもしれなかったし、作品がほんとうにきえたときであったかもしれない。あるいはそのすべてのときにおいて、インクが発露する自然性と不自然性のまじりあう矛盾にずっと捕われつづけていたような心持ちがしたとき、そういえばこれは水性だったのだ、とはたと気づいた。
 これまで表言してきた山や海、植物、群島、森、河川、曇空といった景色をひとつの言語として、そこまでの距離や空間を慮るように、その言語をすこしずつ鞣していくように言葉をえらぶことにもまた、言いしれぬ矛盾というものがもったりと横たわっているようで、ここでふれようとする言語がインクとおなじように水性に属していくものであるならば、あらわれた青い景色こそ、矛盾をたずさえた水性そのものなのかもしれない。




2014.01|
汽水域

 ひとつの美術作品のありかたとして、景色そのもののようなあらわれをおもうことがあります。展示してある作品があまりに物静かすぎてひとの目にふれないことも、作品自身が過度に主張しすぎることも、どちらも自然性と不自然性をかねそなえていて、あるいはそこで作品に対する誤解や矛盾がうまれていくこともふくめて、作品にまつわるあらゆる状況や態度をおしなべたところにあらわれる“景色そのもの”です。
 ここでいう“景色そのもの”とは、美術作品に限られたことではありません。たとえば毎日歩いている道の消失点あたりの、建物と建物のあいだに断片的な山のすがたがみえていることに気づいていなかった、とか、川面に反射した光が部屋の天井にさしこんで、それが季節によってすこしずつゆらめきの角度をかえていることにようやく気づいた、とか、あるいは本を読んでいるときに見知らぬ言葉と出会って、意味や読み方がわからなくても、前後の脈絡をたよりにしてその言葉をやりすごすこともできてしまうという、そのような自然と不自然のまじりあった景色そのものが、美術のなかでもなにげない景色のなかでもあらわれつづけているようにおもいます。

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 景色というものをひとつの言語のあらわれとしてかんがえてみると、これまでじぶんがつみかさねてきた景色と言葉のかかわりについて、景色のほうから言葉へ流入しているのか、あるいは言葉のほうから景色へ流入しているのかという問題は、そもそも思いちがいであったかのように、作品そのものはあくまで水性であること、景色と言葉は汽水のような状態として景色そのものになっていくのではないかと、最近ではおもっています。




2012|喫水線

 なじみの薄い土地で季節をひとめぐりして、ふと、景色に対して言葉がきえていけばいい、と思いはじめたとき、些細な事柄を覚えていられなくなったり、なんとか記憶に留めたと思ったのにいつのまにかわすれていたり、気づかずにやりすごしてしまうことが多くなっていた。
 背負い込んでいたものが言葉なのか景色なのか、これまでどちらに比重を置いて、どちらに気づこうとしていたのかもわからなくなりながら、沈みこんでいく間際が言葉なのかもしれないし、景色なのかもしれないし、あるいはそのどちらも負うことはかなわず、気づくことさえできないことについて、浮かんでいる部分と沈んでいる部分の中間あたりで、半ばあきらめるように窮極的なもどかしさと矛盾をたずさえながら書きつづけているふしがある。このままどこかへあずけてしまうように言葉がきえていってくれるのであれば、喫水線そのものもきえて、書くという本質だけがのこるのかもしれない。




2011.10|corridor

 この身体がある景色からある景色へと移行しているとき、とめどなくたずさえる言葉を文章に起こさず、声にも出さず、緘黙として守り抜こうとして、ながれていく景色を見やっている。たちどまって景色を見据えているときにではなく、そういった移行の最中にあるとき、言葉は景色間における距離の軸線にふれ、言葉そのものの奥行きや高度をともなっていくようである。




2010.3|phytoncide

 山や植物を見るときのように言葉を見ることが可能ならば、言葉は文字と声の制約から自由になり、詩になる以前の風と光にちかいかたちで、景色の輪郭をなぞる視野のように色彩を追いかけはじめる。




2008|Royal Blue Mountain

 ずいぶんと部屋にこもって文章を書いたあと、息抜きがてらにそとを散歩していると、途方もない絶望のようなものにおちいることがあった。そのとき、そとの世界は言葉よりも切実に、風と光が生きて、躍動しているのだとようやく気付いたからである。そして、その世界を表言することなど到底不可能なのだとあらためて思った。
 いつだったか、君の文章には日本語の限界を感じる、と言われたことがあった。
 文章は世界や景色との距離感を測るための一助となる。そして美術とは、距離感そのものを示すものだと考える。だからこの文章に、日本語としての限界、もしくは言葉そのものの限界があったとしても、美術がその限界をおしひろげてくれる。




2006|青山

 2001年3月。
 春を目のまえにしたときのやわらかくてつめたい空気をまだおぼえている。夜行バスに乗って明け方早く東京へ着き、美術館が開くまでの時間を青山あたりでもてあましていた。表通りから一本うらの道に入ったところに団地がつづいていて、その一角にちょうどビルの背を巨大な壁にしたようなちいさな公園があった。早朝の公園にひとかげはなく、とりあえずベンチにぽつねんとすわって公園のなかを見渡しているうちに、なんともなしにペンとノートをとりだして文章を書きはじめた。
 絵描きならば目のまえに見える景色をスケッチしたのかもしれないが、文章でその景色を描写していった。どこまで景色の瞬間をとらえることができるのか、なにをどこまで言葉に置き換えることができて、あるいはできないのか。目のまえの景色と、それに対して瞬時に下した解釈と、ペン先の理解へとたどりつこうとする行為と、その限界について、それぞれがいまにもつながりそうで、けれども決して結びつくことのできない窮極的なもどかしさがあった。
 東京の青山にある朝の公園で書きはじめていなければ、おそらく言葉はねむったままだったのだろうと、よく思うのである。